朝から祖父が、家の周りでエンジン付の草刈機を振り回している。
(↑耳が遠いので、安全のために近寄らないが吉)
朝・昼・晩、ホント、よく働く。
齢90を超えて、現役のお百姓さん。
正直、このじーさまがいないと、ウチの農業、細かい部分が回らない。
とにかく頑丈。
絶対、私(孫)の葬式を出すまでは生きてる。
ちなみに、じーさまの主燃料はアルコールだと思われる。
毎食、少量づつの摂取だが、多分、間違いない。
まぁ、米が原料なんだから、ご飯とたいして変わらんか・・・
このじーさま、恐ろしく、悪運が強い。
そう、60年前、神風特攻隊の一員として、爆弾抱えて沖縄に出撃。
徳之島で特攻機は大破したものの、本人は生き延びてしまった。
今も、鹿児島は知覧の特攻平和会館には、じーさまの部隊が出撃する直前の集合写真が残っているそうだ。
もちろん、その写真の中で生きているのは、ウチのじーさまだけだ。
(特攻の話は、ココの記述から広がると思うので、参照失礼)
20年ほど前、ばーさまと知覧を旅し、特攻平和会館で、その事実を発見した時のじーさまの気持ちはわからない。
ただ、帰って来た時、自分とばーさましか知らない、かつての戦友たちの話を、繰り返し語ったことは覚えている。
その後、徳之島から知覧へ帰還する際、帰りの輸送機まで撃墜されたらしいが、やはり、直前で難を逃れた。
その後、帰還命令に従い、広島へ。
しかし、広島に入る直前、病を患い、松山で足止め。
足止めされていなければ、原爆慰霊碑の中に、その名を刻んでいただろう。
ちなみに、終戦後、帰って来たじーさまを見たばーさまは、えらく驚いたというが、まぁ、当然だわ。
かなり、脱線したかな。
まぁ、いい。今日は、じーさまの話にするか。
んで、このじーさま。
戦後、復員した後、実家の近所のこの地に定住。
畑を買い、農業をはじめた。
それなりに苦労したものの、農業LOVEな息子(私の父)の性格も手伝って、農家としては、結構、成功した。
そんなじーさまの戦後経歴だが、どうも70歳中頃までは、
軍隊生活に誇りを持ちつつも、死にそこなったと思い悩んでいたフシがある。
戦後生まれには理解しづらい考え方だが、そんな気持ちを否定する気にもなれない。
京都出身の元国会議員で、自民党の影の宰相とも呼ばれた野中広務も特攻隊員としての訓練中に終戦を迎えたという。
こちらなど、終戦と同時に自決しようとしたそうだ。
しかし、直前に上官が制止。
「生き恥を晒すのではない。生きて国を造れ」
・・・と。
我が家の小さな戦後史だが、終戦記念日ということもあってか、少し考え込んでしまった。
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